俺の軽音部
- 4月20日
- 読了時間: 3分
私は高校に入学する前、どうしてもバンドをやってみたくて軽音部に入ると心に決めていた。
「そういえば軽音って、なんで軽い音って書くの?」って不思議に思っていたを覚えている。
今考えればあまりに差別的にすぎる表現だ。
しかしその高校の先人たちが悪さばかりするという事で私が入学した時には影も形も残っていなかった。
なので仕方なく吹奏楽部へ入部。
「ラッパとかも一度吹いてみたかったしね」という安直な理由で入ったものの、パーカッションというジャンルにつかされた。
そして3ヶ月ほどトライアングルとシンバルを練習する日々。もう楽しかったのかつまらなかったのかどうかも記憶に残っていない。
その高校の吹奏楽部は優秀で中々有名だったそうで、そんな中、大事なコンクールでウィンドチャイム(ちりりりりりんと綺麗な音がする楽器)を壮大に倒してしまい、全てが嫌になり夏休み中に退部した。
顧問や先輩達から「野村くんやめないでよ!素質あるんだから!」と言われる事もなくそれは本当に静かに退部した。
そして一念発起、軽音部を再建計画。
そこで教師から出された条件が以下です。
◾️部員を8人以上集める
◾️顧問を二人探す
(期限は1ヶ月以内)
今思えば何故期限が設けられているのかわからないが、恐らく万が一の時のために、再建の芽を潰すために設けたのだろう。
一週間くらいでクリアしました。
そのメンバーの半分以上が教師から目をつけられているポンコツたち。(うち卒業できた者は3人。)
ただ私は普通に優等生。村から出てきた素朴な青年。
成績も学年一位を何度も取っているし何なら全国模試で500位以内に入るくらい勉強が得意でした(高2から馬鹿になります)。
これはいけるだろうと学校に申請、薔薇色の高校ライフに心をときめかしていました。
野村のネクタイしてないから却下。
↓
ネクタイして再申請
↓
野村がマラソン大会で柿食べてたから却下。
↓
顧問の一人が辞退して却下
こんな感じだったと思う。
私はグレた。おもむろにバイクに乗った。来る日も来る日も。しかも安全に。ヘルメットもちゃんと被って。
誘ったメンバーは一年の間に3人くらい退学した。しかしその残党が「ビデオ鑑賞部作ったから入れよ」とある日誘ってくれた。
もう本当にこのビデオ部マジで記憶にない。
今の俺がその現場に行けるのだとしたらば「家で見ろよ。何で学校で見るんだよ。」と言うだろう。
小学校の教室でたまに見る、教育チャンネルのテレビを見るあの新鮮さが欲しかったのか?
県大会とかインターハイとか目指しようがないし、軽音部がダメで何でこんな意味の分かんない部活はOKなんだよと疑問に思ったことはよく覚えてる。
お菓子食べながらみんなで見てたんだから楽しそうな感じはするが、全く覚えてない。
気持ち悪い映画「ギニーピッグ」を見せられたのだけ覚えてる。
音楽やりたいなぁと日々悶々としていた事を思い出したのでつづりました。
もうダメ……面白くて仕方ない笑笑笑笑笑
貴重な昔話、ありがとうございます!そんな理不尽の積み重ねを経て、無事に、しちゃえドロップアウトできたわけですね。
にしてもギニーピッグみんなで見てる時点でそのクラブ、アウトでしょうよ(笑)
ぜひとも次章ではイエスタ結成までの物語が聞きたいです。お話いだける範囲で構いませんので楽しみにしてまする。