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貰い慣れ

  • 5月25日
  • 読了時間: 1分


与えられて当然。

優しくされて当然。

配慮されて当然。


なんて思って生きてる節ありません?


しかし、だ。


そのわがままの裏では、

誰かの時間、労力、我慢、気遣い、金、

色んなものが静かに消費されている事を忘れちゃいかんと思うわけですよ。



規模がデカいこと言わせてもらうと、


人は受け取る事に慣れると、

それを「当たり前」だと錯覚し始める。

そして、与えられなくなると怒り出す。



嗚呼、なんと未熟なことか。






人は等しく生きる権利がある。


確かにそうかもしれん。


だが、

「権利がある」という言葉だけを掲げ、

誰かが支払っているコストを見ようとしない人間があまりにも多くてトゲトゲするんですよ。



与えられた裏には必ず誰かの負担がある。

感謝せよ。

それを忘れた瞬間、汝Go to hell。



俺も気づかない間にそんな事をしてるのかもしれん、って事で背筋正して生きていこうと思います。


来週の稲毛のライブ、コイヨネ。

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